高齢化率27.3%、超高齢社会の日本。平成27年の高齢者の犯罪検挙件数は4万7,632人と、20年前と比べると約3.8倍も増えており、全年齢において最も多い数字となっています。特に傷害や暴行検挙数は20年前の約20倍と、著しく増えていることがわかります。
しかし高齢者の起訴猶予率は他の年齢層に比べると高く、年齢事情などが考慮され不起訴となることが多いようです。特に認知症の高齢者の場合、責任能力の有無も問題になってくるために、被害者は泣き寝入りせざるをえないという状況になってきてしまいます。
認知症患者が犯罪を起こした場合、刑事責任や民事責任は果たして認められるのでしょうか。
認知症患者の刑事上の責任能力
認知症患者が起こした犯罪が、刑事上の責任に問われるかどうかについては、刑法第39条に定められている心神喪失者や心神耗弱者に該当するかが焦点となってきます。下記が第39条の記述です。
心神喪失者の行為は、罰しない。(刑法第39条1項)
心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。(刑法第39条2項)
つまり認知症患者が心神喪失者と認められれば罪は罰せられず、心神耗弱者と認められれば減刑となります。
■心神喪失と心神耗弱の定義
心神喪失とは、物事の善悪を判断する事理弁識能力や、それに従って行動する行動制限能力が失われた状態をいいます。心神喪失者であると認められると、責任無能力者として不起訴処分となったり、裁判では無罪判決となったりします。
しかし心神喪失と認められることは非常に稀であり、平成28年の犯罪白書によると心神喪失のために不起訴となったのは551名であり全体の0.3%ほど、また一審で無罪となったのは4名で全体の0.006%ほどとなっています。
心神耗弱とは、事理弁識能力や行動制限能力が減退している状態をいい、それに伴い責任能力も減退され、執行猶予処分となったり、裁判では罪が軽くなったりします。
心神耗弱は心神喪失よりも認められることが多く、例えば、平成27年に心神喪失者等医療観察制度の対象となったのは、心神喪失者含めて330名程度となります。
■認知症患者の責任能力
では認知症は、心神喪失または心神耗弱として認められるのでしょうか。
一つの判断要素として、鑑定医による精神鑑定がありますが、そもそも心神喪失や心神耗弱という概念は法律的な概念であるため、医学的には判断できないとしています。
判例上では、心神喪失又は心神耗弱にあたるかどうかは法律判断であり、生物学的(精神障害の認定)、心理学的要素(弁識能力と制御能力の認定)についても、法律判断との関係で究極的には裁判所の評価に委ねられるべき問題である(S58.9.13最高裁)としており、必ずしも鑑定医の判断が採用されるとは限りません。
また、認知症による「認知機能の低下」と、心神喪失者などの「弁識能力や行動制限能力の低下」というのは、必ずしも一致しないと考えられています。認知症だからといって、直ちに弁識能力や行動制限能力が低下しているとはいえないのです。
実際の裁判では、医学的な判断にプラスして、認知症患者の犯行前の生活状態、犯行当時の病状、犯行の動機などが総合して判定されることになります。
■認知症患者の訴訟能力
犯行時の責任能力だけでなく、裁判時の責任能力についても問題になることがあります。裁判時に心神喪失が認められた場合にも、裁判は停止されます。(刑事訴訟法314条)
認知症は進行性の病気です。長期間に渡る裁判によって、犯行時からさらに認知症の病状が悪化してしまうことがあります。病状の悪化により裁判を正常に受ける能力がなくなり、裁判が停止する可能性もあるのです。
通常、裁判が停止した後は、訴訟能力が回復次第再開となりますが、認知症の場合は回復の見込みがないと判断されることもあり、そのまま起訴取り消しとなることもあるのです。
■心神喪失者と心神耗弱者の医療観察制度
心神喪失や心神耗弱と認められた場合、その後は再犯防止や社会的復帰のために、医療的な観察や指導が行われることになります。医療刑務所への入所、指定医療機関への入院や通院などの措置が行われます。
しかし認知症患者の場合、回復が見込めないとの理由で医療刑務所への受け入れが拒否されるという事案も発生しています。
また認知症患者が通常の刑務所へ入っても、罪を犯したことを覚えていないために出所後も何度も犯罪を繰り返してしまうということも起こっています。認知症患者の犯罪に対する今後の対応が求められています。
認知症患者の民法上の責任能力
認知症患者は、刑事責任だけでなく民事上の賠償責任についても問われることになります。民法では、賠償責任について次のように定めています。
精神上の障害により自己の行為の責任を弁識する能力を欠く状態にある間に
他人に損害を加えた者は、その賠償の責任を負わない。(民法713条)
民法においても、責任能力を持たない場合には賠償責任を負わないとしています。さらに、
責任無能力者がその責任を負わない場合において、
その責任無能力者を監督する法定の義務を負う者は、
その責任無能力者が第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。
ただし、監督義務者がその義務を怠らなかったとき、
又はその義務を怠らなくても損害が生ずべきであったときは、
この限りでない。(民法714条)
とも定められており、責任無能力者の代わりに、監督義務者が責任を負うとしています。ただし監督義務を怠っていないと判断された場合には、責任は免れます。
■家族は監督義務者となるか
法律上、監督義務者となるのは、未成年の場合には親権者、未成年後見人、児童福祉施設の長など親権者を持つ者です。精神障害者の場合には、保護者(後見人、補佐人、配偶者、親権者、直系血族及び兄弟姉妹)が監督義務者となります。
認知症の場合には、少し曖昧になります。これまでは配偶者や子どもなどの家族に監督義務責任があるとされてきましたが、H28.3.1の最高裁では、配偶者や子どもだからといって、必ずしも監督義務責任を負うわけではないとの判決が下され、話題となりました。
認知症患者が起こした鉄道事故に対して、JR東海は遅延によって生じた損害賠償をその家族に請求していました。一審では、同居の配偶者と遠方に住んでいた長男に賠償責任があるとし、二審では同居の配偶者に賠償責任があるとしていました。しかし最高裁では一転、配偶者は監督義務者の地位にないとして、賠償責任はないと判決を下したのです。
また、法定監督義務者でなくても、事実上監督責任を負っている場合や、客観的にみて監督責任を負うことが容易に可能な状況であると判断された場合には、監督義務者に準ずる者として責任を負う、としました。
つまり、法定監督義務者でなくても、認知症患者の加害行為を十分に抑止できる状況にあれば、責任を負わなければならないということになります。
H28.3.1の最高裁では、配偶者は同居状態にありましたが、自身も高齢で要介護認定を受けていたことが考慮されて、監督義務者に準ずる者でもないと判断されました。
■介護事業者の監督義務
今回、法定監督義務者でなくても、認知症患者の加害行為を十分に抑止できる状況にあれば、責任を負わなければならないという判決が出たことで、その状況にあれば誰でも監督義務者になる可能性がでてきました。
老人ホームなどに入居している認知症の患者がトラブルを起こした場合、その責任は老人ホームを運営する介護事業者が負うことになるのでしょうか。
判例を考慮すると、客観的に見て、介護事業者が認知症患者の加害行為を十分に抑止できる状況にあると判断された場合には、賠償責任を負う可能性がでてきます。
また、介護事業者は入居者に対しての安全配慮義務があります。仮に入居者に怪我があった場合には、安全配慮義務違反としても賠償責任を問われる可能性もあります。
■介護職員への暴言・暴力
老人ホームの利用者による介護職員への暴言や暴力も問題になっています。怪我を負った場合、利用者に責任能力があれば刑事責任や民事責任を問うことができ、認知症などで責任無能力者と判断された場合でも、労災の適用を受けることができます。
しかし悪質な事業者の場合、ペナルティを避けるために労災申請をしないことがあります。労災隠しに遭わないために、労働基準監督署へ相談しましょう。
家族や被害者救済の動きは
鉄道事故のケースでは、家族が責任を負わないという判決でしたが、実際にはケースバイケースであることには変わりありません。認知症患者の家族は、監督義務者のリスクを背負いながら介護を行わなければならないのです。
そんな家族の不安を軽減するために、最近では民間企業による認知症保険というものも登場しています。認知症患者が対物・対人に損害を与えてしまった場合、損害賠償金や弁護士費用などが保険金として支払われるようになります。
しかし、認知症患者は責任に問われない、家族も賠償責任がないとなると、被害者の救済はどうなるのでしょうか。被害者が泣き寝入りしないためにも、公的な保険制度が検討されていましたが、昨年12月に事例が少ないことや、財源などの議論が必要であるとして、見送られることになりました。被害者の救済についてはまだまだ問題が残っています。