あの直木賞作家池井戸潤が描いた「下町ロケット」その小説に登場する「神谷弁護士」のモデルとなった鮫島先生にモデルになった経緯や、当社サービス「弁護士の選び方」の応援理由をインタビューさせていただいた。
1992- 日本アイ・ビー・エム株式会社にてノーベル賞受賞発明(原子間力顕微鏡・酸化物超伝導体)の権利化その他の特許実務、同社野洲工場における特許啓蒙活動、1996年、同社から特別貢献賞を受賞
2004.4- 金沢工業大学客員教授に就任
2012 知財功労賞 受賞 <特許庁ウェブサイト>
公益活動等
2004- 現在 地域中小企業知的財産戦略支援事業統括委員会・委員長
2007-2008 同事業/関東地区・北海道地区・四国地区(2008)・九州地区(2007)それぞれ委員長
2004-2008 大学知的財産戦略支援人材派遣委員会・委員長
2004-2009 横浜型知的財産戦略研究会・座長
2009- 「研究開発型コンソーシアムにおける知財プロデューサのあり方」研究会座長
「特許戦略ハンドブック」(2004・中央経済社)
「新・特許戦略ハンドブック」(2007・商事法務)
「基礎から学ぶSEの法律知識」(2006・日経BP社)
論文・著作
「知財戦略のススメ」
日経BP社 ISBN: 978-4-8222-9580-6 (2016.02)〔共著〕
「技術法務のススメ」
日本加除出版 ISBN: 978-4-8178-4168-1 (2014.06)
「新・特許戦略ハンドブック」
商事法務 ISBN: 4785713690 (2006/10/16)
「基礎から学ぶSEの法律知識」
日経BP社 ISBN: 4822282600 (2006/05)〔共著〕
「MOT 知的財産と技術経営」
丸善 (2005.10)〔共著〕
「知的財産の証券化」
日本経済社 (2004.10)〔共著〕
「特許戦略ハンドブック(第1版)」
中央経済社 ISBN: 4502908606 (2003/03)
※現在入手困難となっております
所属弁護士会:第二東京弁護士会
「弁護士の選び方」について
弁護士の業界は、ここ10年くらいで急に人を増やしました。それによってなにが生じたかというと、首都圏を中心とする、弁護士間による熾烈な競争の始まりです。
競争のみならず、せっかくロースクールを出て弁護士登録をしても就職先がないという状況が生まれました。
就職先がないといえども弁護士バッチを持っているので、自分で営業をして、仕事をとってくることはできるわけです。しかし、どんな仕事でもそうですが、指導も受けずにいきなり仕事をしたところで、まともな仕事はできないものです。
企業法務部といった、弁護士を目利きできる担当者がいるところはともかく、相続や離婚などの一般民事では、弁護士バッチはつけているものの実務指導も受けてない経験の浅い弁護士に弁護士業務を委任してしまった結果、いろいろなトラブルが発生しているようです。
弁護士ユーザーに対して、この弁護士さんだったらいいですよ、というポジティブ情報をなんらかの形で与えないと、世の中が混乱するばかりだなと気になっていました。そのポジティブ情報をどのように発信していったらいいかを考えると、難しいと思います。弁護士業界には弁護士を紹介するという慣習があります。当たり前ですが、自分の同期や知り合いの弁護士の中で、任せられると思う人を紹介するようにしています。
今回、これを事業化、システム化されたということですので、手法としても意味があるし、ビジネスとしても社会性があると思ったので興味を持ちました。
付け加えるとすると、税理士や公認会計士など、いろいろな資格がある中で、弁護士はお客様の人生を左右しうる度合いが1番高いと思います。
税理士の選択を間違えたとしても、人生の岐路が変わることはない。しかし、弁護士の場合、離婚などの人生の岐路、分岐点となるところで関わる仕事なのです。
税理士であれば所得税法など法律で決まっているので、人によってそう差が出るものではないかと思います。しかし、離婚といったような事案は、その弁護士の人生観などが色濃く反映される、つまり、専門家によって振れ幅が大きいわけです。弁護士の人間性みたいなものを問われるような仕事が数多くあるので、弁護士を対象にしたというのは非常におもしろいと思いますね。
費用さえ払えば、誰でも掲載できる広告や質問に回答さえすればランキングの上位になるようなメディアでいいのか、とは思います。日常で頻繁にかかわるものではない弁護士は選び方が難しいと感じますが、「弁護士の選び方」はそのような弁護士ユーザーや社会にとっても意味があるサービスだと思い、応援することにしました。
下町ロケット「神谷弁護士」のモデルになった経緯を教えてください。
池井戸さんとはある異業種交流会でお会いしました。当時の池井戸さんは、今ほどは有名ではなく、「池井戸さんっていうんですか、変わった名前ですね」くらいの印象でした。
その後、なぜか池井戸さんと何回か二人で飲みに行く機会をいただいて、そんなある日、池井戸さんが「今度特許訴訟をモチーフに小説を書こうと思ってるんだよね」という話が出たんです。「池井戸さん、特許訴訟のこと全然知らないよね?」と言ったら「全然知らない」と言うので、「それなら教えてあげるよ」ということになりました。
池井戸さんにオフィスに来ていただいて、教科書的なお話を30分くらいして、彼は帰っていったのですけれども、私はそんなことがあったということすら忘れていました。
そしたらある日、「下町ロケット」の第1版、青い新刊書が送られてきたのです。そこに「鮫島さんお世話になったんで書いておきました」と書かれた付箋が貼られていたのです。
その後いかがでしたか?
当時はこの小説がそこまで売れてこんな風になるとは思ってもいなかったので、
「あぁ、書いてくれたんだ」くらいのノリでした。ただ我々も、信用商売なので、変な書かれ方をされていたら困るなということで、その晩早速読み始めたところ、これが面白くて、面白くて…。
その晩、一気読みさせていただきました。
モノ作り中小企業という本来すごく地味な現場を、よくここまでエンターテイメントチックに書いたなぁ、と思いました。
まさかその時に直木賞をとるとは正直言って思ってなかったですけどね。
池井戸さんとしては、私が神谷弁護士のモデルになっているということ自体は、本当のことで、隠すことではないので、それを使って営業でも講演でもしていいよというお墨付をくださっていました。
そうしたら、「下町ロケット」が直木賞を受賞して、私は「直木賞受賞作品に登場する弁護士」のモデルになってしまったのです。講演依頼も増えました。もともと特許庁プロジェクトとして活動していた中小企業の知財戦略の啓発活動は、その相乗効果でうまくいきました。
ただ、今から考えてみるとその頃は、まだ序の口でした。
TBSのテレビドラマが流行り、「小説「下町ロケット」に学ぶ中小企業の知財戦略」と題うつと、講演会場の人の入りが違うと講演主催者がいい始めました。そういうタイトルをつけて講演をしていいのは、出版元の小学館様の立場としては、私だけなのです。それで、講演本数が年間100回という殺人的な状況になりました。100回ってどういう回数かっていうと、ワーキングデイ250日のうち、お盆やGW・正月を除くと約200日、その半分は講演という計算になります。日によってはそれぞれ違う場所で午前中と午後と夕方と3回のトリプルヘッダという日もありました。
大変でしたが、こういう役割を与えられたんだなと思いました。日本にモノ作りというものがあって、現場のみなさんがすごくがんばっているということがお茶の間のみなさまに伝わったのは本当によかったなと思っています。
お客様も増えました。小説では素晴らしい弁護士として描かれている「神谷弁護士」のイメージを演じ続けるのは大変ですが、それはそれで運命かなと思っています。